つまり、種別の問題である。思想劇よりも世相喜劇が「ポピュラア」であり「肩が凝らない」といふ意味に於いてゞある。それから、新進殊に無名作家に寛大であつてはならない――これはどうしたことです――劇団の生命を託するやうな作品は、作家は、三年に一度、十年に一度出るか出ないかである。何度観ても観あきない作品、それを何処よりも芸術的に演出する、これが、劇団の命であり財宝である。――古典劇はおろか近代劇中、わが日本ではさて何を選ぶべきでせう。これこそ人ごとのやうな話ではありませんか。 僕は、こゝで、また、喜劇大に出でよと叫びたくなる。 最後に、苟も演劇革新を標榜する劇団は、現代の作家に――勿論若き時代の作家に、彼が何を求めてゐるかを知らしめる必要がある、「佳いもの」ではわからない。「かういふもの」と云つて欲しい。それには、先づ第一に、舞台の上で「特に光つた或るもの」を、常に示せばいゝ。「これだ」と叫ぶ者がきつと出て来る。 僕は、これだけのことを云つて何も新しいことを教へたつもりではない。要は、結果を見るに在る。 川口駅 3分 歯医者 おおむら歯科医院 歯科・訪問歯科
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