H・KもT・MもT・Iもそれぞれの専門では一流の学者である。しかし、私たち「泣かない」三十代の文学者にはこれといった仕事をする人間がいない。文学者としての宿命を感じさせるような者もいないし魅力も乏しい。文学者として世に立っても、型が小さすぎる。やはり泣かない世代はだめなのだろうか。泣かない世代には泣かない悲しみの文学がありそうなものだが、しかし少数の泣かない文学も目下のところ泣く文学には勝てない。泣かない世代、泣けない私たちはもしかしたら、泣く時代、泣ける彼等より不幸なのかも知れない。 してみれば、よしんば二十歳そこそこだったとはいえ、女との別れ話に泣きだした時の私は案外幸福だったのかも知れない。取り乱すほど悲しめたのは、今にして想えば、なつかしい想い出である。もっとも、取り乱したのは、一種のジェスチヤだったのかも知れない。おれは別れることにこんなに悲しんでいるのだという姿を、女にも自分にも見せて、自虐的な涙の快感に浸っていたのだろう。泣いている者が一番悲しんでいるわけではないのだ。歯科 税務 口ほどに手は動かず
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