食事の時刻になつた。館長の渡辺氏や、外務省嘱託の稲葉子爵や、通訳の国友氏や職員で仏文出の鈴木氏やと一緒に、学生と同じ献立の家庭料理を御馳走になつた。南育ちの人々が多いからといふので、特にカレー汁が食卓に用意されてゐた。 夜は有志の人々と座談会をすることになつてゐる。 東京では、六時から、日々新聞の主催で、今度の従軍作家のために、日比谷公会堂で、送別の催しがある筈だ。久米氏からもなんとかしてそれに列席するやうにと云はれてゐるのであるが、そんなわけで、その日はどうしても都合がつかず電話でメツセージを送つた。 印度のチヤンドラ・ゴウタマ君から、日本演劇についてなかなか鋭い質問が出る。同じく印度のアドハム・バソリ君は世界演劇の最古のものについて、演劇学者の知識が如何にも乏しいといふことを難詰しはじめる。アルゼンチンの二名の学生は、それぞれ仏蘭西語を話し、これがやはり白人系の論理的頭脳と社交的習慣を目立たせてゐるのは面白い。ペンクラブの話など出る。 寮の内部を案内してもらふ。簡素で、ハイカラで、家族的で、しかも、極めて合理的である。設計者、稲葉子爵はケンブリツヂ出の青年建築技師であるとは今まで知らなかつた。 さて、私は宿へ引上げて考へたのであるが、世界の何処の国が、いつたい、外国の留学生に対して、こんな丁寧な、手のかゝる取扱ひをしてゐるであらう? アメリカあたりは、なかなか、その点、至れり尽せりだといふ話も聞いたが、私の見るところ、どうも日本人の世話の焼きかたには、一種特別な「型」があり、こつちのまともな気持が向うに通じないやうなもどかしさがありはせぬか?飛蚊症治し方ガイド
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