個性なき飲食 美味いものが食いたい人は、他人に頼らないで、自分の好きなものを自由に選び、自由に食えば、山の鳥や野獣のように本来の目的は達し得られる。食事だって芸術性があるわけである。しかし、多くの人間は自分の好みがはっきりしないようだ。 食物と言えば、女の仕事と決めてかかり、その無知に後悔しながらも、女房の手料理にあきらめてみたり、愚にもつかぬ小料理に舌鼓を打ち、憚りもなく食物談に興じ、やがて金廻りがよくなり、家を造る段になると、設計を人に頼む。きもの選びまでを「○○屋」に相談したりする。金の使い方まで、みな他人に相談して、平凡に誤りなからんことを希っている。 こんなのが賢明な常識人とされている。絵のひとつも購うとなると、新しい書画さえ買えば間違いはない、古い物は危険だからとて買わない。こんな手合いが常識人で通るほど、今日は個性のない世の中となっている。人生勉強を怠っているからではなかろうか。 食物の理解 料理も王者の根性が大切だ。ラジオ・テレビに現われる粗末な料理では、しみったれた、つまらない人間ばかりが生まれるだろう。それが心配になる。 およそ生きとし生けるものは、食餌に充分な理解が入用だ。獣も鳥も魚も虫も、みな相当に理解しているようだ。立派な人間は立派な食物を理解しなければ、不見識の譏りは免れまい。 御茶ノ水 歯科
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