こんな風に、やゝ固苦しい前おきではじめたこの物語は、しかし、実は、学問や道徳とそれほど関係のある話ではない。 その証拠に、本筋へはいる途端に、彼の結婚にまつはる突飛なエピソードを語ることになるのである。 両親を早く失ひ、兄と妹とが郷里にゐるほか、東京には身寄りといふものはなく、下宿から下宿を渡り歩く殺風景な独身生活を永く続けた揚句、旧師の家へ出入してゐた世話好きな老婦人の口きゝで、ある軍人の娘と見合ひをした。双方とも異議はなく、話は順調に進んだ。二度目に会つた時は、いづれも相手の真意を呑み込んでゐたから、もうたゞ、ひと言ふた言、互に、念を押し合ふだけですんだ。それは、仲人口の禍ひを封じるために必要であつた。 「第一に、僕は貧乏です。第二に、学者とも教育者ともつかぬ中ぶらりんな存在で、たいした仕事ができるとは思つてゐません。第三に、趣味らしい趣味がありません。至つて野暮です。第四に……もう、よしませう、それくらゐで、あとは、どんなボロがでるか、お楽しみといふことにしておきませう」 川口市 歯医者
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