亡くなつた林芙美子さんのことについて何か書けといふ注文である。なんといつても、これは少々筋ちがひのやうに思はれるが、編集者Yさんは非常に物覚えがよく、私がある時、映画の試写会のあとで林さんと夕食を共にしたといふ話を、私から直接聞いたことがあるから、そんなに懇意な間柄なら、書けない筈はないと言ふのである。  ところが、私は、Yさんにそんな話をした覚えはさらさらなく、まして、林さんと一緒に食事をしたことなどは、何かの会以外にはないのだから不思議である。Yさんが作り事を言ふ筈はないし、私も、そんなデタラメを喋る興味も必要もないとすると、私が、なにもかも忘れてしまつてゐるとしか考へられない。この方がむしろ大問題である。  そんなわけで、林さんと私との面識の程度を、もしはつきりさせなければならぬとすると、約二十年間に前後三回(私の記憶を信じるとして)会つたきりである。  最初は、徳田秋声さんの何かのお祝ひの会の時に、誰かに紹介され、その次ぎは、文芸春秋社主催の講演会で、これはたしか一週間に亘つて関西各地を廻る間、いはゆる行を共にした。かれこれ十五年乃至二十年も前のことである。  最後は、ついこの間、今日出海君のお祝ひの会に出て、偶然林さんと隣合せの席につき、しばらく雑談をした。  この程度の交渉で、私が特に林さんの思ひ出を語る資格があらうとは思へぬが、強ひて語るとすれば、また、それはそれで、私といふ人間の見た林さんのポルトレにはなるかも知れない。オーダーカーテン

   


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