勿論歴史家の研究は公平無私であらねばならぬ。曲学阿世の譏があってはならぬ。しかしながら我ら歴史家もまた、同時に帝国臣民である事を忘れてはならぬと自分は信じているのである。したがってこの道鏡問題の如きも、こと皇室の尊厳に関して重大なる疑問があり、歴史家としての研究からそれが氷解せられて、いやが上にも皇室の尊厳を明らかにしうるものである以上、自分は徹底的にこれを研究して、世の誤解を解く事が歴史家としての冥加であると思っているのである。  そこでその多くの疑問の中について、まず以て自分の最も解し難しとするところのものは、帝権の最も隆盛であったかの奈良朝時代において、いかに天皇の御親任が厚く、また天皇が当時出家の天子にておわしたと云え、何ら皇室に因縁のない臣民出身の一僧侶を推して、仮りにも天子に戴いてはとの大それた説が現われてみたり、また天皇がそれにお迷いになられたり、道鏡自身もそれを聞いて、なるほどそうかと始めて野心を起してみたりしたというところにある。当時にあってそんな思想が起りえたという事が、自分にとって不思議でならぬのである。医学部の入試演習

   


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