それに私たち三十代の半ばに達していない年頃の人間は、感激とか涙とか昂奮とか絶叫とかいうことを知らない世代ではないかと思われるくらい、泣きたがらない傾向がある。今年の五月のことだ。京都のある雑誌でH・Kという東京の評論家を京都に呼んで、H・Kを囲む座談会をやった。司会をした仏蘭西文学研究会のT・IはH・Kの旧友だった。二人ともよく飲んだ。話がたまたま昔話に移った。「あの時は君は……」H・KはいきなりT・Iにだきついて、泣きだした。T・Iも「K君、よく来てくれた。おれは会いたかったよ」と泣いた。速記者があっけに取られていると、二人は起ち上って、ダンスをはじめた。ダンスがすむと、また文学論に移ったということである。十日ほどして同じ雑誌でT・Mという福井に疎開している詩人をよんで、また座談会をした。T・Iが司会、酒……。やはりT・MはH・Kがしたように、T・Iと抱き合って、泣きだしたという。H・KもT・MもT・Iも同じ四十代である。私はこの話をきいた時、「四十代と三十代とは違う」と思った。私たちは旧友に会うても、昔話をしても、酒を飲んでも、泣くようなことはない。鹿沼 歯科 女子と小人は養い難し ? OZ CIRCLE
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