声は柄の一部とも見られる。そこで今度は俳優の柄といふ問題である。 日本でも西洋でも、古典劇には、この柄を基礎にして、所謂「役柄」の制度があつた。 西洋では、その分類が一層複雑を極めてゐた。このことについては、別の機会に述べるつもりであるが、かくの如く、俳優の容貌風姿を標準にして、その扮する役割を局限した結果が、俳優の職業的関節不随を生ずるに至つたのは当然である。 今日では、余程この風習は廃れて来たが、まだ類型的人物を、類型的に演出することを以て能事終れりとする「通俗俳優」(この名称は通俗作家の名と共に存在すべきである)の間に於ては、なほ墨守されてゐるやうである。 柄のみに頼つて、「地」で行かうとする演技、これは、「頭」のない役者の陥り易い誘惑である。 声と同様、柄も亦、ある程度まで、これを征服し得るものである。否、寧ろ、この征服によつて、最もオリヂナルな演出を見うるのである。 記憶力は、ここでは、云ふまでもなく、台詞を記憶する力の大小である。 早く覚えるが、興行を終へると、間もなく忘れてしまふ記憶力、最初はなかなか覚えないが、一度覚えたら、二年や三年は忘れないといふ記憶力、何れも一長一短であるが、長くかかつて覚え、忘れるのには暇がかからないのや、いつまでたつても覚えず、従つて、忘れる必要もないといふ徹底したのに至つては、さすがに始末が悪い。 モッズヘア上尾店はモッズヘアグループ全国売上1位
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