否! 「民衆の声」は「神の声」ではない。「神の声」が「民衆の声」でなければならない。神の声こそ、ベートーヴェンが自らをその通訳者だと信じ、それを人々の許まで運ぶ者だと信じていたところのものである。そして民衆に奉仕する最善の、唯一の道は、このまったく純粋な声を、少しもその力とその奥底の真理とを弱めることなしに、彼らに聞かせることである。ところで、彼のうちなる神とは、彼の最善の部分、最も無私なる者、また最も勇ましきもの、すなわち彼自身の献身であるが故に、彼はその音楽の中で、この自己献身を他人に与えたのである。彼の音楽は彼の血である。それは十字架につけられ、そして正に復活しようとする魂が、贖われた苦悩の中で、人々に自己を糧としてそこで与えるところの一種の「聖餐」(Abendmahl)である。  彼に近づいていた同時代者らのうちの最も聡明な人々は、共感から得た洞察力によって、ベートーヴェンの衷なるこの偉大な献身の劇を十分よく認識していた。そうして、彼らの心は敬虔な感動の為に締めつけられていた。レルシュタープ、ロホリッツ、フロイデンベルク(一八二二―一八二五)は、「無数の人にただ喜びを、清き霊的の歓喜を与えるところの」(der Millionen nur Freude bringt, reine geistige Freude)――また「世界に自己の最善のものを与えるために、ただに自己の幸福を犠牲にしたばかりでなく、自己の全部を捧げて深く傷つき、ほとんど自己の没落の縁にまで近づかねばならなかったところの」(〔der um eben sein Allerbestes der Welt darzubringen, sich selber, nicht bloss sein Glu:ck, tief verletzt sich wohl an den Rand seines Untergangs treiben muss〕)悲しみの人、忍耐と憂鬱との人、〔der Kranke, schwermu:tige Dulder〕「病気の、憂鬱なる忍耐者」を描き出すがために、ほとんど同一の表現を用いている。薬剤師募集サイト 町田市薬剤師会

   


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