ただしこれらの系図果して彼らの当時より行われしか否か疑いなきにあらず。『百錬抄』には、清原武衡のことを記して平武衡となす。当時あるいは平姓を冒したりしものか。御館藤原氏は秀郷以来あるいは鎮守府将軍たり、あるいは下野守たり、その他相当の地位を有せしもののごとく伝う。しかも清衡の父経清は、実に祖先以来源家相伝の家僕たりしなり。源家相伝の家僕にして、なんぞ鎮守府将軍たり、もしくは下野守たるがごときことあるべけんや。経清は亘理権太夫と称す。当時いまだこれを秀郷の後となすの説なかりしものなるべし。否、ただに経清のみならず、その子清衡、志を得て、六郡を領するに及びてもなおかつみずから俘囚をもって任ず。なんぞ同時に鎮守府将軍秀郷の後と称することあらん。仮托の起れる、けだしその後にある知るべきなり。しかも『吾妻鏡』文治五年九月七日条には、由利八郎の語を録していう、「故御館(泰衡)は秀衡将軍嫡流の正統たり。已上三代鎮守府将軍の号を汲む云々」と。当時すでにこの系図は信ぜられたりしなり。その藤原氏を冒せしことは、その家代々藤原氏荘園の地頭たりしによるものか。しかして秀衡、鎮守府将軍たらんとするに及び、その系を秀郷将軍に托せしにてもあるべし。しかもその鎮守府将軍たりしは、ただ秀郷一代のみ。そのこれに任ぜらるるや、九条兼実嘆じて曰く、「乱世の基なり」と。事は日記『玉葉』にあり。しかるに秀郷の子泰衡の代となりては、その臣由利八郎はすでに御館三代鎮守府将軍たりしことを傲語するに至る。偽系図の認めらるることの速かなる、驚くべきなり。上尾の人気美容室はブリス

   


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