私はしばしば山に登る。それは山がいつも私の前に立っており、私はただわけもなく、それに登りたくなるものだから。あながち「岩の呼ぶ声」に惹きつけられるというものでもない。私にはむしろ岩は多くの場合恐怖の対象物でしかあり得ない。「雪と氷を追って」私の若い血汐が躍るのでは更にない。「白い芸術」は私には余りに遠い世界に距っており、氷の労作は私には肉体的にも精神的にも余りにも大きな負担であり、痛苦と屈服をのみ与えこそすれ、なんら戦闘意識といったものすら起し得ないからである。私には、私の山、一〇〇〇メートル級の山々の何物をも眼界から奪い去るひどいブッシュの中であってもいいのだし、また単に山々の懐ろ深く入りながら、かえって峰々の姿も見ないで谷から谷へと歩くばかりでもいいのである。 私はたびたび山に登る。それは山がいつも私の前に立っており、私はただわけもなくそれに登りたくなるものだから。そしてそのたびに私は私の職務を休まねばならない。しかし私は誰かのように、「月給の奴隷ではないんだから」好きなときには休むというほど大それた反逆児? ではない。私の今の現実の生活は冷くあっても決して夢でもなく、道楽でもない。私が余裕のある人々の夢のままを追ったとき、そこには破滅の外の何物が待っていよう。 私はしばしば山に登る、仕事を休んでまで。しかしその理由はいたって簡単だ。誰しもがなんらかの理由で休むだろう一年の五、六日を、私はただ山登りに利用するというまでなのである。日曜と休日をいかに組み合わすべきかは、従って、私の山行の企画における最も重要な鍵点である。 高級デリヘル 品川 http://x76.peps.jp/zison/blog/?cn=1
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