「自己に忠実である」といふことの意味がしばしば安易に考へられてゐる。こゝで「自己」といふのは、「最も人間らしい自己」をおいてほかにあらう道理はない。 自己に忠実であるためには、それを妨げる一切のものとの闘ひが予想されなければならぬ。「自己」以外のもの、自己内部の自己にあらざるもの、そんなものから区別される純粋に「自己」と言ひ得るものの認識のうへに立たなければ、「自己」に忠実であるもくそもないのである。 しよせん、「人間らしさ」とは、人間が時として極めて困難な道を歩くことである。 周囲一切のものから手を切らなければならぬことがある。孤独に徹することはこのことである。 こゝで「人間らしさ」の両端ともいへるすがたがはつきり浮びあがる。すなはち、人間と人間との完全な結合のうちにそのひとつがあり、人間と人間との永久の離別のなかにそのひとつがあるのである。 歪められた「対人意識」について 人間が社会を作るといふことは当り前なことであるが、社会が人間を作るといふこともまた議論の余地のないことである。 しかし、複雑な人間の精神のはたらきと、社会の複雑なからくりとの間に、たとへどんな関係が成り立つにしても、さう簡単にそれらの関係の原則を発見することはできない。人間教育と社会革命とが、常に別々の角度からとりあげられざるを得ないのをみてもわかる通り、問題は微妙にからみ合つて、われわれの明日への夢想は、果てしのない平行の二つの流れとなるのである。 2/24リニューアル赤羽の美容室
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