新橋が美しい鉄のらんかんの橋となったということを私はおぼえているような気がする。角には博品館という東京一の勧工場があったが、これはもと博品館とはいわず、俗に新橋の勧工場といっていたが、私が十一、二の頃に改築されて博品館となったものである。これが出来た時はなか/\の評判であった。定まった階段というものがなく、道が坂になっていて、途中二、三段位のゆるい階段が所々にあるきりで、自然と階上に行ってしまうという趣好が歩道にあるスリガラスの光りとりとともに評判であって、出品物も中々いいものがあり、何となく高級という感じを私どもが持っていたものである。私は今でも時々勧工場の夢をみるがここの景をみることが多い。ここの階上の裏側の窓から新橋の美妓諸姉の夕化粧の艶姿がみえるとて、若いものたちが事に託してかいまみたものだとて今日の古老のうちあけ話である。今日では一階の小デパートになっているが、私は本記事の挿画をかかんとて鉛筆をここに求めたが、店員君がどこかへ行っていて買わずに出て来てしまった。 足が一歩銀座に入ると実にモダーンである。何かいい材料にと思ってポカンとしている前をつばめの如く、断髪の美女がかすめて通る。一と昔前の女性とは種類が違うかのようにその足が早い。サッ/\と歩いて行く。又向うから三人づれ位の美人が来る。実に女が多い。昔は外へ出ても婦人に会うことは稀であったが、この頃は実に婦人が多い。みな別に用事のある風はない、しかし皆サッ/\と歩いている。ヘルス 別府 | 大分風俗.COM
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