はじめから眼の良いものはさすがに違ったものだ。多読して頭が痛くなるようなそんな眼ではないのだ。つまり生理的に眼の良いものは、頭も良いのだ。神経衰弱の八割までは眼の屈折異常と関係があるという説を成す医者もあるくらいだから――、とこんな風に僕は我田引水し、これも眼の良い杉山平一などとグルになって、他の眼鏡の使用を必要とする友人を掴えて、さも大発見のようにこの説を唱えて、相手をくさらしているのである。  他愛のないことである。眼の良い者がすべて皆頭脳優秀とは限らぬし、眼鏡を掛けぬ作家が才能に恵まれているわけでもないし、また、眼鏡を使用する必要のない者がつねに人並すぐれた読書家であるというあんばいには参らぬ。僕はたしかに眼が良い。疾走する電車の中にいる知人を、歩道をぶらついている最中に眼ざとく見つけるなど朝飯前である。雑閙の中で知人の姿を見つけるのも巧い。ノッポの一徳でもあろうが、とにかく視力はすぐれているらしい。だからと言って、僕はべつに自分が頭脳優秀だとも才能豊富だとも思っていない。はかない眼鏡説でわずかに慰めているくらいだから、本当はそういう点になるとからきし自信がないのである。己惚れるなど飛んでもないことだ。ことに読書という点でははなはだ自信が無い。鴎外や芥川龍之介などどのようにしてあれ程多読出来たのか、どのようにして読書の時間をつくったのか、そしてどのようにして読んだものを巧く身につけたのか、その秘法があれば教えて貰いたいと思うくらいである。所詮「わが読書法」という題はくすぐったいのである。世田谷 矯正歯科 酒は憂いを掃う玉箒 ? allog (ブログ)

   


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